『石川淳全集』完全読破 "The Ishikawa Jun's complete works"

『石川淳全集』全19巻(筑摩書房 1989-93)を淡々と読んで、記録していきます。研究批評などはしません。

1921(T10)・1101 コント「銀瓶」

【あらすじ】

カトリック教徒の小学校教師、風間先生。天涯孤独の彼は、家も家財道具の一切を売り払い、八百屋の二階の一間で禁欲生活を送っている。ある日、その八百屋の息子が、先生が手放すことの出来なかった唯一の道具、家族との思い出の詰まった銀瓶を持ち去ってしまう。教会で講演し、禁欲と執着について聴衆に訴えた先生は、深い満足を得て、部屋に戻ってきた。そして、銀瓶の失われた世界を目の当たりした先生は——

 

【登場人物】

風間先生、八百屋の亭主、奥さん、息子

 

【覚えたい語】

ペロレエゾン

雀子

アビテユエ

容れない

翠袖

居常倹素

蒼然

燦爛

素封家

デスポチスム

ジエネロジテ

オスピタリテ

ミリュー

立言

予覚

水口

デイクターム

アセチムス

人間浮華

珠数

 

【感想】

得意のモチーフであるカトリックを用いて書かれた、デビュー作。語り手が人物の内面を語らないスタイル、読者の教養が試される用語やレトリックの数々、現代の読者に好かれる要素はまったくない。

矛盾を徹底的に追及する姿勢、語られていないはずの心情が迫り来る描写、精神が動き転がっていく感覚、デビュー作とは思えないほど、スタイルが完成されている。

 

 

 

『石川淳全集』をいま読み始める。

【戦時下の遊学に倣う】

 

石川淳は、第二次世界大戦中を振り返り「江戸に遊学していた」と書いていたと

記憶している。

2020年4月23日(木)現在、世界はCOVID-19との”いくさ”のまっただ中である。

 

石川淳全集』と取り組むという身の処し方は、小生にとっては自然なもので、

これまで20年も身構えてきたことがばかばかしいほど、あっさりと決まった。

 

 

【『石川淳全集』(筑摩書房 1989−93)の構成内容】

 

第一巻〜第十巻    小説

第十一巻       歴史小説・戯曲

第十二巻〜第十六巻  評論・エッセイ

第十七巻       古典新釈

第十八巻       翻訳

第十九巻       雑纂・著作年譜他

 

 

【どの順番で読むか】

 

第十九巻の「作品発表年表」(鈴木貞美編)に注目したい。

これに従って、世に出された順番に読んでいくのは、悪くない試みだろう。

 

 

【感想は書き残すが、批評・評論はしない】

 

批評・評論を書くことに時間を割くくらいなら、読み進めた方がよいにきまっている。

 

文芸批評を嫌うわけではないし、純文学雑誌から文芸評論が消えつつあることは

残念に思っている。

 

日本人の感性だと、文芸批評や評論は、他人の褌で相撲を取るという、

不潔な感覚があるのかもしれない。

 

 

 

 【完全読破を目指す】

 

「あの石川淳でも、失敗作や駄作はある。全部読まなくてもいい。

評価の高いもの、自分の好きそうなものを読めばいい。

失敗作や駄作に付き合う時間がもったいない。」

 

新宿のBARで、となりに居合わせた、筑摩書房の編集者のことばである。

 

これは10年ほど前であるから、いくさのまっただ中の今とは、状況が違う。

 

「STAY HOME」の号令のもとに、使える時間が増えたのだ。

 

 凡人でも失敗から学ぶのだから、近代文学の巨人の失敗作から、

何も学べないはずがなかろう。

 

いま、最高の遊学が始まった。

 

 乱世のときこそ、石川淳の文学は、輝く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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